0616 ミスチルの牛丼問題は根深い

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Mr.Childrenの「旅人」という曲をご存知でしょうか。

www.youtube.com

私、この一曲に関して、優に一時間以上は語れる自信がある。

疾走感のあるメロディーはもちろん、

社会を風刺的に捉えた青臭いミスチル桜井氏の歌詞が、

良い意味でめちゃくちゃ痛い。それがすこぶる良い。

あと、音楽はナマモノなんだな、と痛感する。

直近行ったライブのセトリに入ってたけど、

当時のそれとは全然違う。

喉が潰れたような、鼻にかかった歌声が、

この一曲と、異常な相性の良さを発揮している。

■集団で牛丼食べてる問題

ミスチルの旅人といえば?」

周りのミスチルファンに質問してみてください。

ここで口ごもったら、間違いなくそれはにわかでしょう。

真のファンだったら、

ミスチルのたび「「牛丼!」」

このくらいのスピードで答えを言えます。(だからと言って何か偉いわけではないです)

ミスチルの旅人といえば、牛丼。

牛丼といえば、ミスチルの旅人。

もはや対義語として成り立つレベルに、

この2つの言葉は1セットで確立されています。

誰だってしんどい
集団で牛丼食べて孤独な想いを消してんだ
ほらもう少しの辛抱 あわてん坊よ焦るな

私この歌詞、何回も反芻してしまうんですよね。

メロディーに乗せず口に出すと、頭の中でバグが発生します。

集団で牛丼食べて孤独な想い消してんだ・・・?

この新しい違和感に気づいたのは、今から3年前でした。

身近にいたミスチル好きの友達に、

どうして唐突に牛丼が出てくるんだと思う?

もし牛丼じゃなかったらなんだったと思う?

と、やたら深刻そうに聞いていた記憶があります。

さらに、バグがバグを呼び「ミスチルの旅人に出て来る牛丼bot」という

Twitterアカウントを開設していました。(フォロワーの数とかは、察してください。)

改めて考えてみると、

ミスチルの旅人に出てくる牛丼怖すぎませんか。

当時の私を振り返ってみると、ミスチルの旅人に出てくる牛丼に、

思考の3割ほど侵食されていたような気がします。

ミスチルの旅人に出てくるのが牛丼ではなかったら

仮に、ミスチルの旅人に出てくる牛丼が牛丼ではなく、

別の食べ物だったらどうなんでしょう。

-旅人×からあげ

誰だってしんどい
集団でからあげ食べて孤独な想いを消してんだ
ほらもう少しの辛抱 あわてん坊よ焦るな

すごい楽しそう。

すごい孤独な想い消せそう。

だけど、あまりにも情景がポップすぎる。

結果、旅人とからあげは合わない。

-旅人×サブウェイ

誰だってしんどい
集団でサブウェイ食べて孤独な想いを消してんだ
ほらもう少しの辛抱 あわてん坊よ焦るな

そもそも、あんまり孤独ではなさそう。

サブウェイ=健康志向、というイメージが強すぎて、

心身ともに良好な印象を持ってしまう。

そのため、孤独との親和性がない。

結果、旅人とサブウェイは合わない。

-旅人×メロンパン

誰だってしんどい
集団でメロンパン食べて孤独な想いを消してんだ
ほらもう少しの辛抱 あわてん坊よ焦るな

語呂は合ってないけど、上のサブウェイよりは

孤独感を漂わせることが出来た。

しかし、旅人のロックなメロディーラインと、

メロンパンのキュートな語感のギャップが酷い。

牛丼でさえ違和感を覚えるのに、唐突にメロンパンが出てきたら、

リスナーもひっくり返る。

結果、旅人とメロンパンは合わない。

-旅人×ざるそば

誰だってしんどい
集団でざるそば食べて孤独な想いを消してんだ
ほらもう少しの辛抱 あわてん坊よ焦るな

見つけてしまいました。

旅人と牛丼を越す黄金タッグを。

韻こそ踏んではいませんが、

集団で食べてるイメージ◎

孤独感◎

孤独そうな人たちが一生懸命ざるそばを啜っている情景を、

鮮明に想像することができます。

ミスチルの旅人に出てくる牛丼の補欠に、

ざるそばを任命したいと思います。

■まとめ

ミスチルの旅人に出てくる牛丼問題を供養しなければ、

私はずっとこの違和感を持ったままにしていたと思います。

深く向き合ったからこそ、

ミスチルの旅人に出てくる牛丼が、

牛丼でなければいけなかった理由を見つけ出すことが出来ました。

(そして、補欠の食べ物として「ざるそば」を発見できた。)

そろそろ牛丼がゲシュタルト崩壊してくる頃合いでしょうか。

 

これからの人生で、万が一でも桜井さんと話す機会が合ったとしたら、

「ファンです!」と伝える前に、

どうして「牛丼」にしたのかを問いたい。

もしそこで、

特にこだわりはなかった。語呂が良ければなんでもよかった。

とか言われたら、泣く。

泣いて、一人で牛丼食べて孤独な思いを消したいと思います。

 

終わり

0530 aikoの部屋にある鏡がほしい

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衝撃的です。2017年があと半年だなんて。

最近、生活リズムに抑揚がなく、

ただただ単調に日々が過ぎていく感じがします。

私にとっては、結構ポジティブな変化だなあと。

変化することでしか生きてる実感がなかったので。

とはいえ、瞬間瞬間で起こる新鮮なハプニングを、

敏感にキャッチできるようになってきた気がします。

 

まだaikoの化けの皮を剥がしきれてない

 

先日の記事aikoについて書いたのですが、

その翌日に、TSUTAYAでアルバム3本レンタルしてきました。

ワクワクしながら家に帰ってきて全部DLして、

iPhoneに同期して、ずっと聴いていました。

部屋の中でも、出先でも、移動中でも。

そしたら思いの外めちゃくちゃ「甘い」んですよ。

私は食べ物か酒か、みたいな人間なので、

例えが稚拙でお恥ずかしいですが、

ずっとチョコレートを食べている気分になってしまったんです。

はじめて音楽を通して、

胸焼けしてしまう(というか胸もたれ)感覚を知りました。

それほどまでにaikoの楽曲は「甘い、甘ったるい」、

そして『あぁぁちょっとそろそろいいや!』と、

私の胸が防御反応を示してくる。

だから、すっごいaiko聞きたくなったときに、

適切な量を聞くのがいいのかもしれない。

恋愛とかしてるときに、麻痺になった状態で聴くのがオススメです。

(恋愛系の楽曲に免疫がない人は)

 
-aikoYUKIの決定的な違い

 

歌詞を見ていると、

aikoは「ノンフィクション」を歌っていて、

YUKIは「フィクション」を歌っているのが顕著にわかる。

 

たとえば、aikoいつまでも「あなた」を待ち続けている間

YUKIメランコリニスタの静かなハイで眠れなくなってるし

高確率で宇宙へ飛んでいる

かと思いきや、aikoも宇宙に向かって靴を飛ばそうとするし、

YUKIは高円寺の先輩から既読スルーされ続けている。

 

実は、アーティスト性の違いを

「ノンフィクション」「フィクション」の判断軸で分析する以外に、

主観」か「俯瞰」でも分析できることに気がついた。

 

aikoは、恋愛のリアルな実体験や、自分の恋愛観を、

惜しげもなく歌詞に盛り込んでいるように見える。

 

YUKIは、フィルムに収めて作り込まれた世界観に、

肉付けされたストーリーが歌詞に表現されているように思う。

 

例えば、好きな人に

 

あんたのことめっちゃ好きやで!」というaikoに対し、

YUKIは顔を赤くしながら「月が綺麗ですね」なんて言ってしまうのだ。

どっちもすごく可愛い。

 

完全に主観だけれど、二人を文豪で例えると、

現代音楽界の三島由紀夫太宰治のように思う。

 

この話は「自己愛性」がキーポイントになってくるので、

詳しくはこちらを御覧になってみてください。

ナルシズムと自我の病理 太宰治と三島由紀夫の自己愛性パーソナリティ - 心・精神の病気と健康の心理学

 

aikoYUKIの違いを二極化してしまったのですが、

女性アーティストをこの二人しか聞かないため、悪しからず、、、

というかすこぶるどうでも良いですね。

 

本当は、

ミスチルエレカシの違いとか、

ミスチル桜井氏の心の変化とか、

書きたかったのですが、次の機会にします。

 

おわり

 

0526 恋を食べて生きる女

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とにかくaikoの凄さを誰かに伝えたい。

吐き出したい。

とにかくあの女性は凄いのだ。

「そこまで意地にならなくて良くない?」

と自分でも感じるほどに、今までの人生で、aikoを避けてきた。

そんな私が、ここ数日間、何かに取り憑かれたかのようにaikoを聴いている。

 

 もしaikoと好きな人が被ったら、

どうぞどうぞと言わんばかりに譲る。

恋愛サイコパスaikoに私が勝てるわけがない。

 

aikoの楽曲って、猛毒に生クリームと苺が飾り付けられたショートケーキのように思う。

それをショートケーキと思い込んだ「あなた」がまんまと食べてしまう。

すごく怖くないですか。

 

それは、「あなた」だけじゃなくて、

リスナーもその毒を食べさせられている。

 

aikoってすげえ可愛いじゃん」

これはもう毒に侵されている状態である。

 

ちなみに私はもうその状態です。

 

書くことはあるんですけど、

書けることがないんでおわり。

 

一ヶ月に二回更新が目標なので頑張ります。

 

 

0418 あるようでない本質

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いきなりだが、
「好きな芸能人は?」という問いに対し、
一貫して「Mr.Children桜井和寿!」と答えてきた。
 
当時一番仲良かった女性に、
「私の元カレ、ミスチルの桜井さんに
似てるんだけど紹介しようか?」
と言われたことがある。
(この女性の貞操観念については、触れないで欲しい)
 
ミスチルの桜井さんに似ている人を
紹介されても、正直困るのだ。
しかも元カレ。
 
あくまでも私が好きなのは、ミスチルの桜井さんであり、いくらミスチルの桜井さんに似ていても、ミスチルの桜井さんでないのならば、「ミスチルの桜井さんに似ている」という条件を提示されたところで、全く意味をなさない。
 
例えるならば、
「今日の夕ごはん、見た目はカレーライスなんだけど、ハヤシライスだよ。」
と言われているようなもんだ。
口に入れたらハヤシライスでしかないものに、
「見た目はカレーライス」なんて野暮な情報が、
いかに無意味であるかが、明白に分かる。
 
これめんつゆだけど麦茶に似てるから飲みなよ。
めっちゃからあげに似てるサーターアンダギー食べる?
一万円ないから、似てる千円で許して!
 
めちゃくちゃである。
こんな理論がまかり通ったら、
「似てる」の定義が破綻してしまう。
 
目と口と鼻のある場所が、
新垣結衣に似ているので、私は新垣結衣です。
 
といっても許される世界になってしまう。
まあ、それはそれで良い。
 
限りなく本物に似ていても、本質はニセ物でしかない。
逆も然り、本物もニセ物になることはできない。
本物がいいという人もいれば、
ニセ物がいいという人もいる。
 
前置きが長いが、今日の主題は「本質」である。
 
わかりやすく、再度ミスチルの桜井さんを例に出す。
 
おそらく、私はミスチルの桜井さんじゃない、
ただの桜井さんだったら好きになっていない。
 
もしこれが、
 
サッカー選手の桜井さん
上司の桜井さん
スタバ店員の桜井さん
インドカレー屋の桜井さん
 
だったら、いくら外見がそっくりでも、
目もくれないはずだ。
「あの人かっこいいな〜」とときめき、
三日三晩眠れないくらいだけだと思う。
 
なぜミスチルの桜井さんが好きか、
似ている人じゃだめなのか。
 
ここまで分解したらお察しかもしれないけれど、
「本質」が違うからである。
 
桜井和寿という人間が築き上げてきた、
「本質」はコピペできない。
 
ここで、「お前、桜井和寿の何を知ってるんだ!」
と言われたら、ちょっと黙ってしまう。
 
再三ミスチルの桜井さんについて語ってきたが、
あまり桜井さんのことを知らない。
 
もしかしたら、とんでもなく非人道的で、
トイレットペーパーの代わりに一万円札を使ったり、
からあげの衣を剥がして食べ、
カレーライスの「ライス」部分を残して
しまうような、人格の持ち主かもしれない。
 
ここまで言ってしまうと、
主題からかなり道をそれてしまうので、話を戻す。
 
ミスチルの桜井さんの「本質」を、
「音楽センス」と仮定する。
ミスチルの桜井さんのご家族や、友達、仕事仲間のように、
彼の人柄がわかるほど、近い人間であったら、
桜井さんの「本質」は、また違った形になるんだろう。
 
しかし私は、彼の一ファンに過ぎない。
テレビの音楽番組や、
ライブでパフォーマンスしているような、
すこぶるかっこいいミスチルの桜井さんしか知らないのだ。
Mr.Children、歌手である桜井さんこそが、本物である。」
というしあわせな思い込みの上で、成立する本質である。
 
本質の本質がわからないように、
結局のところ本質の定義なんて、机上の空論かもしれない。
ミスチルの桜井さんに、
「音楽センスなんて俺の本質じゃない」
なんて言われたら、この記事に費やした時間が無駄になる。
 
ここまで書いてきて、「本質」がなにか
わからなくなってきたので、改めてグーグルで検索してみた。
 
ほんしつ
【本質】
  1. そのものとして欠くことができない、最も大事な根本の性質・要素。

 

らしい。
 
模範的な意味合いを理解した上で、胸を張って言いたい。
ミスチルの桜井さんに似てても、
本質は違うので興味がありません!」
ということだ。
「私は、人や物事の本質を見る人間なので、
外部的要素に惹かれることはありません!」
こういうことだ。
最終的に、「私は人を見た目で判断しないぞ!」という、
いい人キャンペーンのために書いた文章になってしまった。
 
最後に、上で書いたことが全部ひっくり返ってしまうようなことを言うが、
「元カレが岡田将生に似てるので紹介する」だったら、
尻尾を振り、よだれを垂らしながら食いついたことだろう。
 
おわり

0415 過去を見る色眼鏡

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スマップが解散してから、四ヶ月が経つ。
あのスーパーアイドルでさえ、事務所の力には勝てないのだ。
社会とはそういうものなのだろうか、既得権益には抗えないのか。
なんとも恐ろしい資本主義の闇を垣間見た気がする。
 
実は、この一連の解散騒動の背景で、
もっと恐ろしいことが起きているのだ。
 
冒頭にも書いたが、解散してから四ヶ月の月日が経つ。
にも関わらず、私は未だにスマップ解散の話題をたびたび口にする。
 
当たり前だが、
スマップ解散以上に重大な問題が山ほどあるし、
スマップは過去になってしまったのだ。
Wikipediaにも、
SMAP(スマップ)は、1988年から2016年まで活動した日本男性アイドルグループである
と、過去形の説明がされている。
 
いつまでもスマップ解散に縛られてしまっている私に、
 
「スマップ解散から、何も成長していないお前が一番怖いよ。」
 
「もう2017年なんだよ、三年後は東京オリンピックなんだよ。」
 
「いい加減現実みなよ。働けよ。」
 
と優しく諭してくれるような大人が、
一人くらい居てもいいのではないか。
 
ここまで言うと、ネタっぽく聞こえてしまうかもしれないが、
私は本当に、中学二年生の頃からスマップが好きだった。
父親に、ブックオフでアルバムを買ってもらい、
自室には、当時一番好きだったメンバー、
木村拓哉のカレンダーを、卓上と壁に一つずつ飾っていた。
(余談だが、7月のカレンダー写真が、水の滴る半裸姿のキムタクだった。
中学生の私は、「こんな過激な写真を壁に飾ってはいけないのでは?」という
背徳感から、Yahoo!知恵袋に「キムタクの全裸のカレンダーを
壁に飾っている女子ってどう思いますか?」と、
『半裸』と『全裸』を間違えて質問したら、
スマップのファンであろう回答者から、
「全裸のカレンダーなんてどこに売ってたんですか?!」と
興奮気味に逆質問されたことがある。)
 
スマップ解散に伴って出現した、期間限定にわかファンとの
差別化を図るために「真のスマップファン」アピールを、
これでもか!というくらいしてきた。
『家に帰ってなにをしているの?』と質問されれば
Youtubeで過去のスマスマを見ています!」と答えてきたし、
初対面の相手とは、『深夜の表参道で中居正広さんと遭遇して、握手してもらった』
(ただただ中居正広がすごいというだけの)武勇伝を、挨拶代わりにしている。
 
大袈裟かもしれないが、スマップは平成という時代を象徴するグループだったのではないか。
「いて当たり前」というか、インフラの一つとしてスマップが存在していたように思える。
 
スマップ不出場の紅白歌合戦なんて、ただの『紅合戦』だ。
 
そんな中、世間とのギャップに驚愕した瞬間がある。
スマップ解散報道があった翌朝、当たり前のように社会は回っていたのだ。
ダメージを受けた多くの日本人が出勤、登校拒否、
なんとかずくを出して、電車に乗っているOLも、
死んだ魚の目をしているんじゃないか。
スマップ解散を受け、世の中の活気が
一気になくなってしまうのではないか。と危惧していた。
そんな私の心配も無意味なほどに、
案外日本人はタフなんだな、と思った。
 
実は、こんなこと書いているの、
バカらしいなって思います。
スマップが解散しても社会は回るし、
ご飯は食べるし、夜は眠いし、カレーは美味しい。
 
かなり前置きが長くなってしまったけれど、
今日のテーマは「過去に縛られすぎている自分」である。
 
スマップ解散においては、一つの事例でしかない。
私が過去に縛られていると痛感する瞬間はたくさんある。
 
スタバで、完全に溶けきったフラペチーノを片手に持ちながら、
「私あの人のああいうとこ好きだったんだよね〜」と
感傷的になる自分が好きなのだ。
 
帰り道、Mr.Childrenのつよがりを聴きながら、

着かず離れずが恋の術でも傍にいたいのよ
いつ君が電話くれてもいいようになってる 

なんて歌詞の部分で、好きだった人のことを

思い出し、胸を痛めている自分が好きなのだ。

 

結局の所、(美化された)過去に縛られている自分のことが好きで、

今さら捨てられないんだろうな。 という答えにたどり着いた。

 

過去の既成事実は変わらないのに、思い出はいくらでも補正できるから怖い。

ループばっかりしてたら、いつのまにか東京オリンピックだぞ!と

今の自分に忠告しておきたい。

 

おわり

 

画像引用先URL

http://www.todayonline.com

0413 見えない敵にドロップキック

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30周年を迎えるエレファントカシマシの写真展が、池袋で開催されていたので行って来た。

男臭くてカッコいいおじさん達の写真が、

ざっくばらんに飾られていた。

30年間、1つのことを続けるのは簡単なことではないんだろう。

永遠だと信じてやまなかった、SMAPでさえ解散してしまったし。

というかまだ30年という時間を経験したことがないから、想像もつかない。

私が22年間続けて来たこと言えば、

私が私であることくらいだ。

(こういう歌ありますよね。)

 

学校も、部活も、バイトも、習い事も、

友人関係も、恋愛も、大して長続きしたことがない。

人生をセンチ単位で考えるとする。

私は、mm単位で何かを始めて、何かを終わらせて来た。

始めるのは、結構簡単なことだ。

終わらすことも、多少の寂しさや不安を伴うけど、そんなに高いハードルでもない。

何が一番難しいって、続けることだと私は思う。

 

いきなり話が飛ぶけれど、久しぶりに高校時代のことを思い出していた。

学園祭っぽい催しがあって、

各クラス毎にダンス発表をする。

当時、「マルマルモリモリダンス」が流行っていて、私のクラスはそれを踊ることになった。

積極的にクラスをまとめてくれた子、

いち早くダンスを覚えて、先頭立ってみんなにダンスを教えてくれた子。

言われたからなんとなくやってる男子。

いろんな人がいたと思うんだけど、

私はあまり練習に出ることができなかった。

「歯医者」「バイト」と何かにつけて、

言い訳をして、積極的に練習に参加しなかった。

(本当にバイトの時もあったけど歯医者は嘘)

家で何をしていたかというと、

からあげを揚げていた。 

 

一口大にカットされた鳥もも肉をジップロックに入れ、

・砂糖

・みりん

塩麹

・生姜

・醤油

上記の調味料を私好みにブレンドして、よく揉む。

朝、鶏肉を漬けてから学校に行くのが、

私のルーティンだった。

 

学校が終わったら、全速力で家に帰ってセーラー服を脱ぐ。

揚げ物用の服に着替え、最高のコンディションで挑む。

いい塩梅に使った鳥もも肉を、冷蔵庫から取り出し、薄く片栗粉を纏わせる。

私は竜田揚げのように、サクッとした食感のからあげが好きだ。

しかし、竜田揚げは飽くまで、竜田揚げ。

からあげではない。

ここで、私は片栗粉で化粧された鳥もも肉を少しだけ置く。

鳥もも肉から出てくる水分の働きによって、

竜田揚げとからあげをいいとこ取りした衣に、仕上げられるのだ。

手間暇かけて育て上げた鳥もも肉を、

油の海へと航海させる準備は出来た。

大切なのは、温度。

…と、思っているうちはまだ甘い。

揚げ油の温度が大切なことなんて、

ホモサピエンスが誕生した時代からの常識だ。

からあげにとって、何が大切か。

すばり、「二度揚げ」である。

可愛い子には旅をさせよ、ということわざがある。

手間暇かけて育て上げた鳥もも肉達を、

油の海へ2回も送り出す。

一見無慈悲な行為にも思えるかもしれない。

涙なしでは出来ないことだ。

しかし、この困難を乗り越えること以外に、

一丁前のからあげとなることは、ありえない。

f:id:karagegadaisuki:20170413225250j:image

 

勢いで書いてみました。

めんどくささが波のように押し寄せてきたので、これにて終わりです。

中身のないことをただ書いてみたかった。

からあげ大好き!

 おわり

 

 

0322 センソウの目

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東京03のコントを見ながら、夕ご飯を食べ、

東京03のコントを聴きながら眠りに着く。

そんな毎日が続いている。

YouTubeに上がっているスマスマは、

全部見てしまった。

サンドイッチマンのコントも、

セリフを覚えてしまった。

 

動画鑑賞って、最大限に脳みそを甘やかしてる感じがして、すごく贅沢だ。

 Wikipediaとかtwitter見てるときも。

 あと、LINEニュースとか。

 脳みそが「いえーい!」って言ってる気がします。

 ◼︎春

 春になると自分を覆ってる膜みたいなものが、更に分厚くなる気がします。

 何故だろう。

 多分、春は空気がきれいに見えるからかな。

 植物、空、水、自然、、

 込み込みで空気とします。

 だから、目の前の風景がフィクションのように

 思えて悲しくなったり、嬉しくなったりします。 

 ◼︎カレーの魔法

 

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 最近ちょっと面白いことがありました。

 私を覆ってる膜みたいなものが、

 破けた瞬間があったんです。

 吉祥寺にある、行きつけのカレー屋さんに行ったとき。

 とてもお腹が空いていて、自分にご褒美だ!

 なんて言い訳付けて、1180円のスペシャルカレーを頼んだんです。

 大きいお皿に、こんもりと盛られたごはん、

 味噌の風味がするカレールー、優しく煮込まれた牛肉。

 福神漬けを、これでもかというくらい乗せて食べるのがお気に入り。

一口頬張った、その瞬間に膜が破れました。

私の胃に、カレーが入っていく瞬間、

「私は生きてるんだ!」って強く思いました。

カレーはすごい。神秘の食べ物だ。

 

(そのあと行ったんですけど、特に何もなかったです。スペシャルカレーだったからかな。)

 

◼︎終わり

人生はいつも過渡期のように思います。

一生は、毎日の積み重ねで、

毎日は刻一刻と過ぎてゆく時間を積み重ねている。

今ここにいる自分の地点は、

「点」でしかないんだけど、

振り返ってみると、ちゃんと道になっていて。

紆余曲折を経てたどり着いた今を愛おしむことが出来る。

 すごく良い意味で、「人生なんてそんなもんだ!」と言えるような女になりたい。

人生を語るには、まだまだ未熟過ぎて笑っちゃいます。

 

 

終わり