1020 からあげ問題はいつも面倒だ

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中学生のときに、ヤフー知恵袋で「勝手にから揚げにレモンを絞る夫。どう思います?ベストアンサーにコイン100枚あげます!」といった内容の質問を見たことがある。


当時の私は、この質問を目にして「から揚げにレモンって合うのか!?」と、そのコンビネーションに衝撃を受けた。それほどまでに、「から揚げにレモンを絞る」行為とは無縁だったのである。


社会人になり、飲み会や外食が増えるようになってから、「から揚げにレモン絞るよ星人」と出くわすようになった。どこに行っても、から揚げにレモンが添えられているのだ。「から揚げにはレモンを添えなければならない」と日本国憲法で定められているのだろうか。


白米には味噌汁、寿司には醤油、サンマには大根おろし、猫にはマタタビ、みたいな図を狙ってるのか知らないけど、いて当たり前のような顔して、から揚げの隣にいるから困る。


そもそもである。
最初から、レモンなど添えられてなければ、「レモン絞っていい?」なんて聞かれなくて済むし、レモンを絞られたから揚げを食べなくて済むし、中学生の時に見かけた主婦もコイン100枚を犠牲せずに済んだのではないだろうか。


「から揚げにレモンを絞るよ星人」について、私なりの考察を述べたい。


彼らは、生まれて初めて見たものを母親と認識するヒヨコのように、から揚げを見たらレモンを絞る、という習性を持っている。そのため、から揚げを見た瞬間に、脊髄反射で「から揚げにレモン絞る?」と発してしまうのだ。


この時、「から揚げにレモンしぼ」あたりでおもむろにレモンを手に取り、既に絞る体制に入っている。そのため、「から揚げにレモン絞る?」は、ただの挨拶であり、から揚げにレモンを絞ることは彼らの中で決定事項なのである。


ここで、
「えっちょっとレモン絞らないで。」
というと、親の仇のような目で見られる。ことは、ほぼ無い。


「から揚げにレモンを絞るよ」星人も、普段は立派に人間社会で生活しているため、レモンを絞るか絞らないかということは、重要な問題ではないのだ。

 

どちらかというと、「から揚げにレモンをかけないでほしい」という拘りを持った人間の方が、ややめんどくさいのである。

 

から揚げにレモンを絞った星人を親の仇のような目で見てしまうし、レモンを絞られたから揚げを食べて、「ああ、レモンの絞られていないから揚げを食べたかった」という思いが1週間くらい付きまとう。


社会的に見て、圧倒的に後者の方が重症であることがわかる。


私がなぜ、「から揚げにレモンを絞らないで」と主張できず、レモンのついでに涙の味がするから揚げを食べなくてはならないのか。

「から揚げにレモン絞っていい?」
「ごめん、レモン絞らないで」

このやりとりに、羞恥を感じるからである。
長い人生で見ると、から揚げを食べる時間なんて、たったの一瞬だ。その一瞬に、「から揚げにレモンをかけないでほしい!」と、自身の拘りを周知にさらけ出し主張することが恥ずかしい。好きな人に告白する行為と同等の羞恥心を伴う行為なのである。


今後、私は人とから揚げを食べに行く際には、レモンアレルギーを装うと思っている。


「レモン絞っていい?」


「すみません…!私から揚げ大好きなんですけど、レモンアレルギー持ってて、、そのままでも良いですか?」


と、目を潤ませながら懇願するのだ。
事実、から揚げにレモンを絞られると心因性ショックを受けてしまうので、アレルギーというのもあながち嘘ではない。

しかし、こんなやり取りをするのも野暮なので、「から揚げにレモンを絞っていい?」と聞かれた瞬間に、白目を剥いてレモンから意識を逸らそうと思う。

色々考えてみたけど妙案が浮かばない。
この「から揚げにレモン絞る」問題、実に難解である。
コイン100枚あげるのでベストアンサーが欲しい。

0928 君の顔が好きだ

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私は、斉藤和義になりたいガールである。

奥田民生になりたいボーイに感化されて言ってますが、映画は観ていません。)

 

恐らく、斉藤和義という人物は変態だ。

*社会不適合者

*裸の俺様

*ポストにマヨネーズ

ここら辺の曲を聴いてみればわかる。

 

これらの楽曲を大衆の面前で、

恥ずかしげもなく歌うのだ。

変態以外の何者でもないし、実際に変態らしい。

 

もし仮に、性格は私のままで、外見と才能が斉藤和義だったとしよう。

 

まず、大勢の前で歌うことができない。

 

たまたま友達と行ったカラオケで、

Mr.Childrenの『名もなき詩』を歌い、

「和義って本当歌上手いよな!歌手になればいいのに!」と言われ、

「ありがとう」と答えて終わりだろう。

 

天賦の才を無駄にして死んで行くのはやりきれない。

斉藤和義の両親に顔向けができない。

 

せっかく斉藤和義に産まれたのだから、

音楽のセンスをフルに活かしてみよう。

 

斉藤和義じゃない私は、ギターを弾けないのでそもそも楽曲作りが出来ない。

 

しかし、斉藤和義になった私は、ギターが弾ける。

 

なので、まずは楽曲作りから始めようと思う。

ここから、

*社会不適合者

*裸の俺様

*ポストにマヨネーズ

といった楽曲が次々と生み出されて行くのだ。

 

取り急ぎ曲は出来た。

しかし、人前で歌う勇気がない。

 

 そんなとき、私(斉藤和義になった)は富士そばの安いビールに頼って、羞恥心を消す。

 

酩酊状態の私(斉藤和義になった)は無敵である。

千鳥足のまま高円寺に向かい路上ライブを始めるのだ。

 

観客はこうだ。

 

星野源を意識して、白シャツの第一ボタンまで閉めた黒髪の男と、「うわっ、絶対こいつ星野源好きだろうな。」っていう感じの丸眼鏡をかけた女の男女カップル。

 

本とか読まないけど装丁デザイン好きでついつい買っちゃうんだよね、を言い訳に古本屋へ足繁く通うロン毛のお兄さん。

 

現代のヒットチャートに不満を感じているが、それを吐き出す場がツイッターしかないことに辟易している女子大生。

 

とりあえず、サブカルかぶれのいかにも高円寺駅ユーザーっぽいやつらがわらわらと集まって、ツイッターで拡散してくれて、私(斉藤和義になった)はどんどん有名になって、最終的に武道館で「君の顔が好きだ!」と叫ぶのがシナリオである。

 

 斉藤和義が、斉藤和義で生まれてきても武道館が約束されているし、

私が、斉藤和義で生まれてきても武道館が約束されているのだ。

斉藤和義ってすげ〜!

 

余りにも壮大な結論に至ったわけだけど、

これと斉藤和義が変態なことは何の因果関係もないし、変態だからといって武道館デビューできるわけではないので勘違いしないでほしい。

 

斉藤和義の変態さはある種の才能であるが、一般人の私たちが斉藤和義を目指して変態になっても、「○○さんって変態だよね。」と適当に評価され、白い目で見られるのが関の山なので、ぜひ気をつけたいところである。

 

終わり。

 

 

0917 アダルトチルドレン

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働きたくない。

と思っていた小中学生時代。

 

大人になんてなりたくない。

と、思っていた高校時代。

 

年齢だけ大人の仲間入りをした今、

大人になってよかった。と心から思う。

 

なんせビールが美味しい。

大人になってよかった、なんて理由は

こんなもんで充分だと思う。

 

小中高と学生時代の紆余曲折を経て、

なんとか大人のフリをしながら一般社会に擬態している。

 

 大人のようなものになり、社会に出てから褒められることが減った。

というか、「褒められること」のハードルが高くなった。と言った方が正しい。

 

ハイハイしただけで褒められた赤ん坊時代。(記憶なんてないけど)

 

歯を磨いただけでで褒められた小学生時代。

 

食べ終わった後のお皿を洗っただけで褒められた中学生時代。

 

洗濯物にアイロンをかけただけで褒められた高校生時代。

 

現在。

ハイハイしても、歯を磨いても、食べ終わった後のお皿を洗っても、洗濯物にアイロンをかけても、誰も褒めてくれない。

ハイハイなんかしてたら、褒められるどころか頭の病気を疑われるだけだろう。

 

褒められる側から、徐々に褒める側へと移ろっていく大人のような私たちは、

必死こいて自分の頭を撫でて素知らぬ顔して日常をやり過ごすのだ。

 

これぞ、大人。

 

いや、やっぱりビールが美味く感じるようになったら大人ってことにしとこう。

 

大橋トリオ / 「愛で君はきれいになる」MV - YouTube

 

おわり

 

0912 宇宙の日

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宇宙の日、ということで何か書こうと思いましたが書くことがありません。

 

365日毎日のように「〇〇の日」があるような気がします。

ツインテールの日、とか焼肉の日、とか。

 

興味本位で、

「一月一日は何の日?」

って調べたら、

鉄腕アトムの日」って出てきました。

由縁はわかりません。

 

今日は「宇宙の日」なので、

明日は「から揚げの日」にしましょう。 

めちゃくちゃ美味いから揚げを

食べなきゃいけない日です。

ビールと一緒に。

 

いつのまにやら、

「から揚げにはハイボール!」なるものが

定説となり世に記憶されていますが、

本当にそうなんだろうか。

 

心の奥では、

「から揚げにはビール!」って

思ってるのに言い出せないだけなんじゃないか。

 それか、

【秘密結社から揚げにはハイボール!】

なるものがあって、

思考停止中の私たちは知らぬ間に

洗脳されてしまったのではないだろうか。

 

もっと「から揚げにはハイボール」論に

疑いを持って生きていたい、私は。

 

そもそも、なぜから揚げって

あんなにも美味いのか。

元来美味い鶏肉を、美味しくなって当たり前の調味料でつけて、適度の粉を纏わせ、揚げる。

 

そりゃ美味い。

バカでもわかる。から揚げは美味い。

生まれてきた子供の産声が「から揚げは美味い」だったら将来有望。

 

考えるの放棄中なのですっからかんですみません。

誰に謝ってるのかもわかりませんが、

とりあえず明日はから揚げの日にしましょう。

 

おわり

0829 ミスチルの「深海」について

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エレカシのことばかり語っていたら、ミスチルのこと忘れてました。すみません。ミスチルに関しては、中学二年生の頃から好きだから、聴き始めてもう10年ほど経つ。その間、ラルクとかYUKIとかエレカシに心奪われ付かず離れずを繰り返していたんだけど、ミスチルが生活の根幹をなしていたと思います。

実は、最近のミスチルに抵抗感を抱いていて。(楽曲じゃなしにです。)直近開催されたライブ、会場にメンバーの等身大パネルなるものが設置されていたらしい。その場にいたら、間違いく燥いで一緒に写メ撮ってる自分を容易に想像できますが、なんか楽しそうでヤダ。羨望感情から生まれた僻みでしかないんだけど。

ミスチルの「深海」について 

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深海 (アルバム) - Wikipedia

ミスチルの名盤といえば、「深海」。間違いなく、未来永劫語り継ぐべき珠玉の作品だと、個人的に思っています。

 

「深海」を聴く際には、ぜひ曲順に沿って聴いていただきたい。シャッフルして聴いてしまうと、アルバムに作り込まれたストーリーの起承転結が崩れてしまいます。恐らく、そういうとこ緻密に考えて作られた作品なんだろうな、って思ってます。

 

アルバム中盤あたりの「マシンガンをぶっ放せ」、攻撃的且つ風刺的なロックソングから一転、淑やかで切ないバラードソング、「ゆりかごのある丘から」に移り行くシーンが特別好き。「ゆりかごのある丘から」って、過小評価され過ぎやしませんか。誰の人生だかわからないけど、フィクションなので勝手に陶酔できる。終盤にか細い声で、「シーラーカンス」と数回つぶやきを繰り返すとこも、含めて好き。

そして柔らかな余韻から一転、妖美で官能的な「虜」に続く。ミスチルといえばサザンに次いで、「なんて歌ってるか全然聞き取れないアーティスト」としておなじみですが、そう揶揄される所以がなんとなく理解できる一曲です。歌詞カード見ないとなんて言ってるかわからない。

最後、「深海」の「深海」。まるで海の底から聴こえてくるようなサウンドエフェクトに思わず鳥肌が立つ。曲の終盤に連れて、明るみを目指し光を帯びて昇っていく様がなんとなく表現されてる気がします。一番最後、数秒の仕掛けがミソ。なので、シャッフルしないで聴きたいのです。

アルバムの再生時間自体、1時間にも満たないのですが、長編映画一本見たんじゃないか、くらいの満足感と多幸感を味わうことが出来ます。

振り返ってみると、私の小指くらいミスチルで形成されてるんじゃないかって位聴いてきたし、一曲一曲に対する思い入れが強い。ここ最近エレファントカシマシばかり聴いていたので、たまの気分転換にとミスチルを聴いてみたら、やっぱりミスチルすごいわってなりました。もし気が向いたら、次回はミスチルPADDLE」という楽曲について考えを巡らせてみようと思います。 

 

終わり

 

0823 孤独な旅人

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孤独について考えていた。私の考えてることって大概が糞の役にも立たない無益なことばかりなんだけど、、、自分なりに「孤独」というものを咀嚼してみたんで、その備忘録として。

 

まず孤独とはなんぞや、みたいなところから、孤独って対象があまりにもあやふや過ぎるので、考えを進める上で指標みたいなものが必要かなと。適当にグーグルの検索結果を定義としておく。

 

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グーグルの検索結果通り、「孤独」=「ひとりぼっち」が普遍的なイメージだろう。

だけど「孤独」を、自分の頭で考えたとき、なぜひとりぼっちは孤独なのだろう、という疑問が生まれる。

ひとりぼっちだから孤独なのか?それとも、孤独だからひとりぼっちなのか?と考え方をリフレーミングしてみると、答えへのゴールが途方もなく感じる。

 

自分の話をする。私は周囲にいる同年代の女性と比べて、孤独な時間が多い。強がらずに言うと、友人(ここでいう友人はFacebook、LINEといったSNS上の定量的な友人の数ではない。)がいない。その為、必然的に1人の時間が多くなる。これは受動的に「孤独になってしまった」パターンといえる。

 

もう一方で、自ら孤独を選択する自分が絶対的にいる。何が何でもひとりぼっちになりたいときって、ありませんか。私はその欲求が恒常的に存在する。前者が受動的孤独であるならば、ここでいう孤独は能動的孤独といえるだろうか。

 

ちなみに、ここでタネ明かしをしておくと、この話にこれといった終わりと意義はありません。なので、ご飯食べたりお風呂入ったりしたほうが良いです。

 

話を戻して、ちょっと整理すると「孤独」を、「受動的孤独」、「能動的孤独」と、二分化して考えることができる。すると、ひとりぼっちだから孤独なのか、孤独だからひとりぼっちなのか、の原理がなんとなく見つけ出せるような気がしている。(そんな広壮なもんでもないですけど、、)

 

能動的孤独者の気がある私から言わせてもらうと、「孤独(ひとりぼっち)」な時間ってなかなか良いものである。 自分のために化粧をして、自分と街に出掛ける。自分が読みたがっていた本を自分のために買ってあげて、自分が以前気になっていたカレー屋さんで自分にカレーをご馳走してあげる。そうすると自分は嬉しそうに自分のInstagramにカレーの写真をアップする。すべての満足感を自分で味わえるワケだ。(ちょっとだけ良い人キャペーンをすると、孤独の時間があるからこそ、他者と過ごす時間のありがたさに気づく側面も少なからずはあるわけで。)

 

いろいろ考えてみたけど孤独の真理など、常人である私には完全に理解の範疇を超えている。

しかし、たった1つ実りのある気づきといえば、「孤独」を味わったことがない人(孤独を経験してる人が偉いとかいう話ではない)、常に誰かと一緒にいたいとか、繋がっていないと死ぬとか、そういう人って一定数存在していて、はたまたそういう人を無邪気に否定する人もいるんだけど、どうせ死んでしまったら嫌でも1人になるのだから、生きているときくらいは、自分が愛すべき人と一緒にいたらいいのでは、といういい感じの結論に達した。

 

あんまりおもしろくない話を連々と書いてしまったけど、たま〜にこういうことを考えて生きています。普段カレーのことばっかり考えているわけではありません。

 

www.youtube.com

 

おわり

0818 夢のちまた

 

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テレビでお笑い芸人がビール片手にあーだこーだ言っている場面をよく見かける。酒を飲んでいても仕事は仕事だ。彼らが発する「あーだこーだ」にもお金が発生しているのだ。仮に私が居酒屋であーだこーだ言ったとしても、お金なんか貰えないし、代金を支払わなきゃいけない。なんとも羨ましい商売である。

 

先日更新したカレーの記事、書いている時間があまりにも退屈だった。「人に見られてるかもしれない」ということに自意識が過剰になってしまい、結果ものすごくつまらくなるし、書いていても楽しくない。ブログなど、偏った私見を吐露するためのゴミ箱に過ぎないのだ。なので、本日より「酩酊状態の中エレファントカシマシを聴いて過ごしたい」とか「出来る限り外に出たくない」とか、普段人には口が裂けても言えないようなことを綴っていこうと思う。(親に見せられる範囲で)

前述にある「酩酊状態の中エレファントカシマシを聴いて過ごしたい」というのは、あながち冗談ではない。酒を飲んだときの無敵感というか、今なら空も飛べてしまいそうな感覚、何なんでしょうか。こんなものがスーパーマーケットで手に入るなんて世も末です。(ちなみに私は酒豪なんていうものとは程遠く、飲酒欲求に対して自制の効く真っ当な人間である)

さて、エレファントカシマシのライブから一ヶ月程経つ。ライブ直後のブログでも書いていたけど、この先の人生に何の楽しみも見出せず、食べて寝ての毎日を繰り返していたが、今生の思い出にもっともっとエレカシのライブに行きたい。と一念発起した私は、今年の秋、来春に開催されるライブの参加権を手にした。さらには9月中盤に毎年恒例日比谷野音でのライブがある。(多分)高倍率ではあるが、落選したとしても野外ライブのため贅沢にも音漏れを聴くことが出来る。生音を聴きながらビールを飲む。恐らく当日はトランス状態に陥ってしまうだろう。

Mr.Childrenの歌詞を借りて言うならば、どんな不幸からも喜びを拾い上げ笑って暮らす才能を誰もが持っている。まさに真理とも言えるこの一節、思いついたミスチル桜井のセンスたるや。

 

世間は夏休み。それに乗っかった話題ですが、小中高とまともに夏休みの宿題をやったことがない。「夏休みの頭に一気にやる子」、「溜めに溜めて夏休み最終日にやる子」大きく二分化するとこんな感じだと思うが、私の場合は「最後までやらずに冬休みを待つ子」だった。夏休み明け、最初のうちは「早く提出しなさい」と催促する先生も、二学期半ばともなれば忘れている。(もしくは諦められていた、こちらの説が濃厚である)ありとあらゆる義務教育の行動規範を完全無視してきた結果の今である。絶望することが多くて仕方ない。永遠に終わることない宿題をせっせと片付けている最中です。

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おわり