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1211 うその話をしよう

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-「星野源好きそうだよね」

 

「芸能人で好きなタイプ誰?」というよくある質問され、

星野源」と返すと「あー、確かに好きそうだよね。」と、

十中八九で言われるようになった。

 

 

星野源好きそうだよね」と、「AKBにいそうだよね」という一言に、

似通った投げやりさを感じる。

 

そもそも後者は褒め言葉でもなんでもないんだろうが、

言葉の意味を歪曲して捉えると

(AKBにいそう=量産型)という答えが出る。

 

その為、「星野源好きそう」という一言を

(流行が好きそうなミーハー)という意味で捉えてしまうのだ。

 

 

 

星野源や、AKBの話は比喩の一つだが、

量産型という評価をされるのが嫌なのだ。

普通でありたいけど、「みんなと同じ」ほど怖いものはない。

 

 

下北沢が好き。と言うと

-あぁ、下北沢にいそうだよね。 と言われ、

 

喫茶店が好き。と言うと

-確かに喫茶店にいそうだよね。と言われ、

 

カメラが好き。と言うと

-やばい、めっちゃ写真撮ってそう。と言われる。

 

なんだ。

みんな結構適当なんだ。

要するに質問で相手を知る、という行為はコミュニケーション上に

欠かせないパフォーマンスであって、真意など存在しない。

 

無駄に感じるけど、人間らしい行為だな。

案外内容のない会話をする、というのは

贅沢な時間なのかもしれない。

 

ちなみに私は相手を知りたいと思った時に、

必ず好きな食べ物を聞きます。

 

一番困った回答は「イカ」でした。

 

困る回答ほど会話の切り口になるし、

相手にペースを合わせることができます。(「なんでも好き」は除く)

1127 結構本気で好きだった

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◼︎最近キュンとした言葉たち


1-野菜にドレスを着せましょう

2-木と生きる幸福

3-東京は、美しい


1-

三つの中で一番知名度が高いかな。

言わずもがな、キューピーのタグライン。

恐らくここにある「ドレス」というのは、

「ドレッシング」を比喩しているんだろうけど、悔しくなるくらいイケてるなーって思いました。

あくまでも、素材に寄り添わせて頂いてる脇役感を醸しつつ、下着でも普段着でもなく華やかな一張羅として主張してくる感じニクイです。


2-

住友林業のタグライン。

言葉の美しさに惹かれました。

3回くらい口に出してみて下さい。


3-

京王電鉄の車内広告で見かけたキャッチコピー。

これ、言葉だけだとすごく単調なんだけど

背景にある高尾山との相乗効果が素晴らしい。


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これ、キュンときた。家に一枚欲しいなってくらいに。

京王電鉄のキャッチコピーとかCMが

かなり私のツボにはまります。


ノスタルジックな描写、ストレートな言葉遣いが化学反応を起こしてるんだろうな。


◼︎Evernoteにメモしてたこと

・未来が溢れてる

・どれが夢だったんだろう

- これ、結構思うんです。

人生21年間生きてきて、現実を感じられるのはたった今この瞬間なんだけれど、過去は全部夢だったのではないかと。

・存在を証明しないと、存在したことにならない

・人間には各々果たすべき使命がある

-これ考え始めると、原始時代まで遡っちゃうからいつも自分で思考の区切りをつけるのが凄く大変なやつ。

・正しい喧嘩

-「正しい」の定義付けが難しい。

私にとって正しい喧嘩とは、相手と同等でありプラスの答えが出ること。お互いを知ること。喧嘩の根幹となるものは、擦り合わせの差だと思うので。

・惰力 惰性から出た力

・生きづらさを体現しているアーティスト、宮本浩次について

-多分そのうちブログにアップします。

・この世は承認欲求で成り立っている

- 三大欲求に何故入っていないのか、疑問に感じるほど誰もが抱えている欲求である。


◼︎まとめ

狭い空間で息をするのは苦しいな、と

当たり前のことに気づきました。

引いて引いてゼロになっちゃうのもいいかもしれません。

2016年も残り僅かですが、2016年の「今年感」と2017年の「新年感」について深く話せる人と出会いたいです。


終わり


1114 人と関わること

久しぶりの更新。
毎日思うことがある。
瞬間瞬間に感じることがある。
それらを記録しておかないと、すぐ忘れてしまうなって。
でも日記って面倒くさいし、記録しておくことによって鮮度の失われた感情って、もうどうでもいいかもしれない。
 
■毎朝の様に見かける少年について
私が住んでいるアパートの近くに小学校がある。
小学校の前を通過して駅に行くのが通勤路となっているのだが、
毎朝の様に全速力で小学校の前の道を走っている男子小学生を見かける。
それも夏の暑い朝から見かけているものだから、
当初は「何かあったのかな?」としか思わなかったのだが、
今日右手にタイマーを握りしめながら走っている彼の姿を見かけて確信した。
 
彼は毎朝トレーニングをしていたのだ。
 
寒くなってきて、顔を真赤にさせて
私の横を全速力で通過していった。
 
小さな体で大きなエネルギーを
振りまいている彼の姿を見て、すごく恥ずかしいけど
胸が痛くなって涙が出そうになった。
 
これがどういった感情なのかわからないけれど、
自分が取り戻すべき気持ちを彼からもらった気がする。
 
ありがとう、男子小学生。
 
■理想的な人間関係
掲題についてすっごく、とにかく
夜も眠れなくなるくらい考えて見たんだけど。
 
答えが見つからず。
ただ、すごく安直に答えを出すとしたら
「好きだったらどうでもよい」
ということ。
 
人と付き合う(男女関係なく)ってことは、
相手のことを好きであることが大前提だと思っている。
 
そこから不満が生まれるならば、
「好き」であるからこそぶつかりあうべきだ。
 
もし、惰性で生まれた人間関係なら
不満が生まれる前に消滅しているはずだし。
 
強引に取りまとめるとしたら、
私は好きな人に対しては素直に生きているし、
逆に惰性的に感情を抱いている人には消極的に接している。
 
終わり。

1011下北沢。

まいにち。
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■東京
上京して3年が経つ。
いつの間にか東京の暮らしが身に付いてきて、
何処かへ出向くときに電車の乗り換えアプリを使うことが少なくなった。
とは言っても田舎者の血が流れているわけで、人混みというものがどうも苦手である。
慌ただしい街の空気を感じるのは、平日だけでいい。
休日くらいは穏やかな空気の中で過ごしたい。
■下北沢が好きだ。
何を隠そう私は「下北沢」が好きだ。
井の頭線渋谷駅から急行で一駅。
都会の中枢から約5分程の位置にあるにも関わらず、
どこかこじんまりとしていて程よいオシャレ感がある。
 
下北沢を「南口」と「北口」に大きく2つのエリアで分ける。
完全主観のイメージで表すと、
「南口」・・・ご飯に困らない程飲食店がある。大学生が多い。
「北口」・・・隠れた名店が隠れてないほど存在する。下北在住民が多い。
休日はどちらのエリアも混雑しているけれど、
南口よりも北口の道は開放感があるのでどうしても北口ばかり行ってしまう。
 
■道を知ること。
安心できる街の基準とは「方向感覚があること。」
GoogleMapを使わずに街を歩けるようになると、その街が自分の生活範囲に加わる。
自分の足で街の道を知る。
表面だけでは汲み取ることが出来ない魅力を肌で感じる事ができる。
 
下北沢を歩いていると「あれ、さっきも見たお店だ。」というデジャヴが度々起きる。
まるでラビリンスのように迷い込んだかのような感覚に陥るのだ。
 
擬態しやすい街。
サブカルチャーの街下北沢。
というだけあって、個性に富んだ人が多い。
街が発する「誰でもなんでも来い」といった空気のおかげではないだろうか。
 
良い人間も悪い人間も地味な人間も派手な人間も。
どんな人間も受け入れてくれる。
 
私が二番目に好きな街「有楽町」と比較してみると、
こんなに懐の深い街が他にあるだろうか。と思ってしまう。
 
■「安心感」を提供してくれるお店
チェーン店はもちろん、個人経営のお店が多い。
個人経営の最大の利点は「作った人の顔が見える。」こと。
日々過ごしていると、作り手の顔が見えないものを
口に入れたり纏ったりすることが多い。
それはしょうがないことである。
「まあいいや」と飲み込んでしまっていた何かも、
作った人の顔が見えると安心感が生まれる。
「安心感」というのは、自分ひとりだけでは生まれない。
相手がいるからこそ生まれる感情であると思う。
下北沢には「安心感」をくれるお店がたくさんある。
 
■まとめ
個人的に「下北沢」を「下北」と略して言うのに
未だ恥じらいを持っております。
三軒茶屋」を「三茶」とか。
「新百合ケ丘」は「しんゆり」って言えるのになあ。
まだまだ田舎者です。

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1002 「それなり」って。

私のやる気を奮い起こしてくれる曲がある。

洗濯物を干しながら、

その曲を流していた。

やれ「頑張れ」だの、「夢を捨てるな」だの、

「君は君でいい」だの、

「高ければ高い壁の方が登った時気持ちいい」だの、

それらしいフレーズで固められている楽曲が

多く存在している。

それらの楽曲を端的に表すと”応援歌”という

言葉がしっくり来ると思う。

”応援歌”と言われる楽曲たちを生み出していった

アーティストは自分の魂を私たちに売ってくれている。

魂、といえば聞こえが十分に良いのだが、

ここでいう私の魂とはプライドである。

 

ある一定の層にウケるように大量生産された

ニーズ重視の魂である。

 

「今日も明日も明後日もお先真っ暗、死んでしまおう」

なんて歌ってくれる歌手がいたら速攻ファンになる。

まあそういった楽曲もある一定の層に向けたニーズ重視の音楽に

なってしまうのだろうけど。

 

■それなりに生きる。

それなり

《連語》

  1. 1.
    そうしたまま。それきり。
     「―に済んでしまった」
  2. 2.
    それはそれとして認められるさま。
     「―の努力はしたつもりだ」

 

 

 
■それなりに生きるとは。

一世を風靡した、かの有名ロックバンド

JUDY AND MARY』の楽曲に「おめでとう」という楽曲がある。

「おめでとう」の歌詞の中にこんな一文がある。

 

『それなりに生きる』ってどういうこと?

わからないわねぇ。

 

 

実におめでたい歌詞である。

 

しかしこの歌詞をきちんと咀嚼して腹に落としてみると、

上であげたニーズ重視の”応援歌”とは違った角度の”応援歌”へと化すのだ。

 

■私なりに咀嚼してみた。

「それなり」という言葉について深く考えたことはありますか。

パンケーキを見て発する「かわいい」や「やばい」という

言葉達と同等なレベルで意思と意図のない言葉だと思っています。

間違いなく言えるのは、ネガティビティであること。

 

「まあ、それなりでいいんじゃん。」

「それなりにやったならいくね?」

 

みたいな。

「おめでとう」は、作り手がそれなり生きていないからこそ

生み出せた楽曲ではないのかと。

加えて「どういうこと?」という質問から、

「それなりに生きている人間」に対して皮肉を言っているように思える。

 

『私は本気で生きているけど、

それなりに生きてる人って本当よくわかんなーい。やばーい。』

 

みたいな。

歌詞中で「わからないわねぇ。」って言っちゃってるし。

それなりに生きている聞き手を敵に回すような

言い回しがとても好きなんです。

完全ニーズ無視、って感じのスタンスで作り込まれた歌詞。

吹っ切れてて最高です。

 

とりあえずかなりHAPPYな曲なので

ここまでの考えを持って作られたかは不明ですが、

楽曲のワンフレーズを切り取って言葉を探究してみるのも

なかなか面白いものであります。

 

やっぱりすごくかっこいいロックバンドが

「それなりにいこうぜー!」とか言ってたら

あんまりかっこよくないか。。。

 

 

www.youtube.com

0918 俺たちの日比谷

まいにち。

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鬱陶しい夏の風が通り過ぎ、季節が秋へと移り変わっていく。

夏は慌ただしいのだ。

「夏だから」この一言で何もかも許されるような気がする、

お調子者の夏が私は嫌いだ。

秋は淋しくなる。

その淋しさが私は好きだ。

「楽しい時間はもう終わったんだよ」、

と静かに語りかけてくるような秋の風が落ち着く。

 

 

先日の話だがエレファントカシマシの日比谷野音に参戦してきた。

今年初ライブ、エレファントカシマシに関しては

人生初ライブである。

 

東京の空を占領しているような、

宮本さんの突き抜けた歌声。

 

初めてライブで「気持ちいいな」って思った。

「楽しさ」こそ、特にない。

都会の曇り空を見上げて聴いていた。

多分、日本の中心は今ここにあるんじゃないかな、なんて考えながら。

欲を言えば月が出ていて欲しかった。

 

「音楽を聞くこと」は受動的な行為だと思っているが、

彼らの音楽は能動的に聴きに行かないと失礼な気がした。

魂を擦り減らして音楽と向き合っている彼らに。

 

ノスタルジックな雰囲気が好きだ。

さらば青春、sweetmemory、普通の日々、さよならパーティー、

武蔵野、リッスントゥーザミュージック。

自分の人生を思い返してみて重なる情景は一つもないけど何故か懐かしい。

夕方、部屋にひとりでいる時間。

自分と対峙している時間に「さらば青春」を聴くと

生きているのが辛くなる。

 

音楽とは、生きていくための支えとして存在していると定義する。

しかしエレファントカシマシの楽曲を聴いていると、

生きることへの拘りが無くなるのだ。

とても大袈裟に言うとこのまま死んでしまおうか、という気持ちにさえなる。

受け取り手によって変わってくる感情だと思うけれど、

男臭い歌詞とノスタルジックなメロディーに現実逃避をしているのかもしれない。

 

季節は変わろうとも、時代は変わろうとも、

音楽は変わらないで行って欲しい。

 

自分の感性なんかも周りに倣って、

成長に伴って変わっていくんだろうけど、

美しいものを美しいと思える心だけは

失わないで欲しいと願う毎日であります。

 

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0914 僕たちのみらい

まいにち。

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いつかやらねばと、

考えて考えてやっと行動に移せました。

Amebaブログからはてなブログへの移行。

(前ブログ ありがとうのすきま。)

 

デザインを自分好みに

カスタマイズ出来るのが

嬉しいですね。

テンプレートもシンプルで見やすい。

更新頻度を落とさずに、

無理をせず、

日々のあれこれを綴っていけたら

と思っております。

 

小学生の頃から、

日々の出来事を記すという行為に

価値を感じておりましたが、

いまいち理想と行動がリンクしませんでした。

しかし中学生になり手軽に

日々の行動記録を残せる

ブログの存在を知り、

誰も見ていないであろうに

一生懸命ブログを更新していた記憶があります。

 

基本的にブログは

「誰にも見られていない」という体で

書いているので後から見ると

恥ずかしくなるようなことを

たくさん書いています。

 

加えて校閲校正せず思ったことを

ぶっきらぼうに徒然なるまま

綴ってゆく所存でございます。

 

誰に向けているかわからないけれどあしからず。