0823 孤独な旅人

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孤独について考えていた。私の考えてることって大概が糞の役にも立たない無益なことばかりなんだけど、、、自分なりに「孤独」というものを咀嚼してみたんで、その備忘録として。

 

まず孤独とはなんぞや、みたいなところから、孤独って対象があまりにもあやふや過ぎるので、考えを進める上で指標みたいなものが必要かなと。適当にグーグルの検索結果を定義としておく。

 

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グーグルの検索結果通り、「孤独」=「ひとりぼっち」が普遍的なイメージだろう。

だけど「孤独」を、自分の頭で考えたとき、なぜひとりぼっちは孤独なのだろう、という疑問が生まれる。

ひとりぼっちだから孤独なのか?それとも、孤独だからひとりぼっちなのか?と考え方をリフレーミングしてみると、答えへのゴールが途方もなく感じる。

 

自分の話をする。私は周囲にいる同年代の女性と比べて、孤独な時間が多い。強がらずに言うと、友人(ここでいう友人はFacebook、LINEといったSNS上の定量的な友人の数ではない。)がいない。その為、必然的に1人の時間が多くなる。これは受動的に「孤独になってしまった」パターンといえる。

 

もう一方で、自ら孤独を選択する自分が絶対的にいる。何が何でもひとりぼっちになりたいときって、ありませんか。私はその欲求が恒常的に存在する。前者が受動的孤独であるならば、ここでいう孤独は能動的孤独といえるだろうか。

 

ちなみに、ここでタネ明かしをしておくと、この話にこれといった終わりと意義はありません。なので、ご飯食べたりお風呂入ったりしたほうが良いです。

 

話を戻して、ちょっと整理すると「孤独」を、「受動的孤独」、「能動的孤独」と、二分化して考えることができる。すると、ひとりぼっちだから孤独なのか、孤独だからひとりぼっちなのか、の原理がなんとなく見つけ出せるような気がしている。(そんな広壮なもんでもないですけど、、)

 

能動的孤独者の気がある私から言わせてもらうと、「孤独(ひとりぼっち)」な時間ってなかなか良いものである。 自分のために化粧をして、自分と街に出掛ける。自分が読みたがっていた本を自分のために買ってあげて、自分が以前気になっていたカレー屋さんで自分にカレーをご馳走してあげる。そうすると自分は嬉しそうに自分のInstagramにカレーの写真をアップする。すべての満足感を自分で味わえるワケだ。(ちょっとだけ良い人キャペーンをすると、孤独の時間があるからこそ、他者と過ごす時間のありがたさに気づく側面も少なからずはあるわけで。)

 

いろいろ考えてみたけど孤独の真理など、常人である私には完全に理解の範疇を超えている。

しかし、たった1つ実りのある気づきといえば、「孤独」を味わったことがない人(孤独を経験してる人が偉いとかいう話ではない)、常に誰かと一緒にいたいとか、繋がっていないと死ぬとか、そういう人って一定数存在していて、はたまたそういう人を無邪気に否定する人もいるんだけど、どうせ死んでしまったら嫌でも1人になるのだから、生きているときくらいは、自分が愛すべき人と一緒にいたらいいのでは、といういい感じの結論に達した。

 

あんまりおもしろくない話を連々と書いてしまったけど、たま〜にこういうことを考えて生きています。普段カレーのことばっかり考えているわけではありません。

 

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おわり