1020 からあげ問題はいつも面倒だ

f:id:karagegadaisuki:20171020093059j:plain

中学生のときに、ヤフー知恵袋で「勝手にから揚げにレモンを絞る夫。どう思います?ベストアンサーにコイン100枚あげます!」といった内容の質問を見たことがある。


当時の私は、この質問を目にして「から揚げにレモンって合うのか!?」と、そのコンビネーションに衝撃を受けた。それほどまでに、「から揚げにレモンを絞る」行為とは無縁だったのである。


社会人になり、飲み会や外食が増えるようになってから、「から揚げにレモン絞るよ星人」と出くわすようになった。どこに行っても、から揚げにレモンが添えられているのだ。「から揚げにはレモンを添えなければならない」と日本国憲法で定められているのだろうか。


白米には味噌汁、寿司には醤油、サンマには大根おろし、猫にはマタタビ、みたいな図を狙ってるのか知らないけど、いて当たり前のような顔して、から揚げの隣にいるから困る。


そもそもである。
最初から、レモンなど添えられてなければ、「レモン絞っていい?」なんて聞かれなくて済むし、レモンを絞られたから揚げを食べなくて済むし、中学生の時に見かけた主婦もコイン100枚を犠牲せずに済んだのではないだろうか。


「から揚げにレモンを絞るよ星人」について、私なりの考察を述べたい。


彼らは、生まれて初めて見たものを母親と認識するヒヨコのように、から揚げを見たらレモンを絞る、という習性を持っている。そのため、から揚げを見た瞬間に、脊髄反射で「から揚げにレモン絞る?」と発してしまうのだ。


この時、「から揚げにレモンしぼ」あたりでおもむろにレモンを手に取り、既に絞る体制に入っている。そのため、「から揚げにレモン絞る?」は、ただの挨拶であり、から揚げにレモンを絞ることは彼らの中で決定事項なのである。


ここで、
「えっちょっとレモン絞らないで。」
というと、親の仇のような目で見られる。ことは、ほぼ無い。


「から揚げにレモンを絞るよ」星人も、普段は立派に人間社会で生活しているため、レモンを絞るか絞らないかということは、重要な問題ではないのだ。

 

どちらかというと、「から揚げにレモンをかけないでほしい」という拘りを持った人間の方が、ややめんどくさいのである。

 

から揚げにレモンを絞った星人を親の仇のような目で見てしまうし、レモンを絞られたから揚げを食べて、「ああ、レモンの絞られていないから揚げを食べたかった」という思いが1週間くらい付きまとう。


社会的に見て、圧倒的に後者の方が重症であることがわかる。


私がなぜ、「から揚げにレモンを絞らないで」と主張できず、レモンのついでに涙の味がするから揚げを食べなくてはならないのか。

「から揚げにレモン絞っていい?」
「ごめん、レモン絞らないで」

このやりとりに、羞恥を感じるからである。
長い人生で見ると、から揚げを食べる時間なんて、たったの一瞬だ。その一瞬に、「から揚げにレモンをかけないでほしい!」と、自身の拘りを周知にさらけ出し主張することが恥ずかしい。好きな人に告白する行為と同等の羞恥心を伴う行為なのである。


今後、私は人とから揚げを食べに行く際には、レモンアレルギーを装うと思っている。


「レモン絞っていい?」


「すみません…!私から揚げ大好きなんですけど、レモンアレルギー持ってて、、そのままでも良いですか?」


と、目を潤ませながら懇願するのだ。
事実、から揚げにレモンを絞られると心因性ショックを受けてしまうので、アレルギーというのもあながち嘘ではない。

しかし、こんなやり取りをするのも野暮なので、「から揚げにレモンを絞っていい?」と聞かれた瞬間に、白目を剥いてレモンから意識を逸らそうと思う。

色々考えてみたけど妙案が浮かばない。
この「から揚げにレモン絞る」問題、実に難解である。
コイン100枚あげるのでベストアンサーが欲しい。