0126 横断歩道を渡る人たち

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どうしようもない人と、どうしようもない話をしていた。話しながらも「どうしようもないな〜」と考えていたので、内容も断片的にしか残っていないし、本当にどうしようもない時間だった。しかし、生活とは基本的にどうしようもないことで成り立っているし、どうしようもないことで悩んだり、喜んだりなど、感情を揺さぶられることはありがたいことだな、と思う。

 

名前は忘れてしまったが、『この世はすべて惰性』と、随分荒んだ歌を歌うロックバンドがいて、ふむふむ、確かにその通りかもしれないなぁ。と思っていた。

惰性って言葉は、なんだかネガティブだし、聞こえもあまり良くない。この惰性について、私が最近考えてるのは、惰性のおかげで幸せに麻痺することもあるんだなぁ、ということ。これに気づいたきっかけと、背景はなかなか言語化し難いので、もうちょい考えてから記録しようと思う。

 

音楽とは言うなれば記憶の鍵である。と、私は思っていて、最近聴いてなかったMr.Childrenをふと聴いてみた。

住んでいた場所、人、空気、においなど、当時の私を取り巻いていた環境と曲がリンクしていた。そのとき感じたのは、第一次、二次の私の人生が終わったというか、他人の過去を見ているような感覚で、なんか変な感じ、と思ってエレカシを聴いて茶を濁した。やっぱり、音楽を聴いて当時の情景を鮮明に思い出せるのはすごいことだなあ、と改めて思う。におい付きで。

 

例えば、渇いたkissを聴くと、京葉線のホームから八重洲地下街までの通路を思い出す。些細だけど、エスカレーターの油のにおい、サラリーマンと観光客が混合してカオスな状態、朝だか夜だかわからない感覚、途中にあるタイ料理屋さんのエスニックな香り、とか。

NOTFOUND、イミテーションの木、常套句は、駅から家までの帰り道、首都高の歩道でよく聴いていた曲。首都高と下道を繋ぐ歩道橋から見えるスカイツリーと東京タワー、トラックの音、夜になると街が光ってきれいだった。

 他にも記憶の鍵となる曲はたくさんあって、どれも大切に忘れないようにしたいな、と思う。それこそ、真空パックしておくことが出来たらな、と。

 

これを書いていて思ったのは、「あの時こうしたら」と思うようなことも、私に生まれてしまった以上同じ今を辿っているのではないか、ということ。それと、人が過去を思い出したり、語ったりするのって、相当暇なときだということ。

 

ダラダラとどうしようもないことを書いてしまって、すみません。

 

終わり